日米戦争の背景(これは「日米戦争について考える」の続編)

人間は先史時代から集団同士で争ってきたわけで、それらも戦争である。近現代では武器が極度に発達して、ひとたび戦争が起こるとたくさんの人が傷つき、死ぬことになる。場合によっては人類滅亡の可能性も考えられる。「戦争などつまらないことだ」とか「人間の栄光ある歴史の汚点だ」などと言って目をつぶったのでは、人間のことは理解できないし、戦争を避ける方策を見出すことも難しいだろう。
戦争を漠然と考えても、あまり意味のありそうなことは思いつかない。そこで、日米戦争をテーマとして考え始めている。日米戦争は、私にとっては自分自身も子供時代に少しだけ体験したという意味もある。前回のメモ「日米戦争を考える」では、日米戦争について主にその経過について書いた。戦争が起こる少し前あたりからの事件や、政治や軍の問題を並べてみて、その経過を一通り理解することができた。
ここで改めて、戦争とはどのようなものか、何が原因で起こるのかなども含めて考えてみようと思う。なぜ日米が戦うことになったのか、その背景にある「戦争から利益を得るシステム」、アメリカ側の背景、日本側の背景などを考える。最後に、この戦争がもたらしたもの、とくに占領軍による占領政策(アメリカの戦争を正当化するための日本文化破壊政策)についても考える。

戦争の分類または戦争の原因
実際の戦争は原因も目的も多様で、明確に分類できるものではない。以下の分類は、個々の戦争においてどのような面が主に出ているかということである。軍事あるいは政治の研究者によって合意された分類方式が有るかと思うが、以下のものは素人である私個人の考えで、おそらく未熟で不完全なものであろう。分類項目の名称も、私が勝手に付けたものである。
1. 侵略戦争(これは、戦争とは言えないかもしれない)
a) 根絶:白人種の国々が、北米、南米、オーストラリアの原住民(古代的または太古的な生活をしていた人々)に対して行ってきた、住民の大虐殺を伴う全領域の占拠(通常は、これらの地域は植民地と区別されていないようだが、少し違うと思う)。
b) 植民:アフリカ諸国、中東諸国、アジア諸国の植民地(アフリカには、aに分類すべき領域があったかもしれない)。いずれも西洋諸国とは文明の発達度合いが違いすぎて、したがって保有している武器のレベルが違い、一方的に西洋国が勝って大量虐殺と略奪、さらに住民を奴隷状態に置いて資源と労働を収奪した。人間を奴隷として売ることも行った。
似たようなことは、ロシア/ソ連もやってきたし、現在の支那(チャイナ)がチベット、ウイグルなどでやっていることも似ている(内政だと言っているが)。
朝鮮と満州は日本の植民地だったという話もあるが、西洋国の植民地とは全く違って、収奪や住民の奴隷化などはしていない。というより、多額の国費(日本の国家予算の20%以上)をつぎ込んで日本と同レベルの国にしようとしていた。

2. 利害の対立、または覇権意識による戦争
これは、すべての戦争にかかわる問題であり、分類項目とは言いにくいかもしれない。よい資源のある地域や、貿易で利益を得やすい港を取ろうとする例や、昔は自国の領土だったと言って攻め込むなど。

3. イデオロギーの違いによる戦争
ソ連の戦争(レーニン、スターリン)は、イデオロギー(共産主義)を前面に出している(ソ連、支那あるいは中国は、内実は絶対君主制と同じ)。アメリカの日米戦争とそれ以後に時々やる戦争では、“民主主義”を前面に出している。しかし実際には、利害や覇権意識が絡まっているし、より具体的には兵器の“在庫処理”の問題であったりする。

4. 自衛のための戦争
すべての戦争は“自衛”のためと言いたがる面がある(仕掛けた方では、たいていは口実だが)。“正義のための戦争”も、ここに入れてもよいかもしれない。しかし、日米戦争における日本の戦争は、自衛が主と言える(山本五十六の行動は日本国の政策とはかけ離れており、ここからは除く。前回メモ。)。

5. ビジネスとしての戦争
a) 軍需産業による推進
すべての戦争には軍需産業がかかわっているし、少なくとも一部の財閥系は、国家が戦争に向かう局面で、推進派になる面がある。日米戦争における米国側の動機は複数あるが、ロックフェラー等の財閥の動きはその典型だろう。日本の会社(三菱、三井など)にも、そのような面はあった(動かす金の規模は欧米の財閥とはけた違いだが)。
b) 企画された戦争(aと完全には区別できない)
計画が先に作られた戦争。19世紀初頭あたりからは、ロスチャイルド財閥などが戦争を企画して複数の国を戦わせる方向に導く、ビジネス主体の戦争が多い。近隣国間には領土や資源に関して国家間の対立が有るのは当然で、これらを何とか抑えながら友好関係を保っている。しかし政治家の買収やマスコミを利用して対立を煽ることは、金さえあれば難しいことではない。とくに第一次世界大戦とそれ以後の戦争のほとんどは、企画の要素が強い。マスコミが煽れば国民の多くは国家間の利害対立に目が行きやすいので、“企画”が見えにくい(企画については別にまとめる)。

6. 追加次項
戦争の原因に関しては、上記のこと以外に人間の争いを好む感情や、若い男を簡単に徴兵できる社会の在り方の問題もある。前者は文学や宗教の問題だろうし、後者は人権の問題だろう。いずれも大変に難しい問題で、戦争原因に関連して論じられたことはほとんどないと思う。私自身もどう考えてよいか分からないので、思いつくことを補遺に記すにとどめる(補遺1)。

世界の大財閥(ロスチャイルド、ロックフェラー)
1.財閥(イメージという程度の説明)
・アメリカの5大財閥:ロックフェラー、モルガン、メロン、デュポン、ヴァンダービルト。
 ロックフェラー以外はユダヤ系。しかし実際には、ロックフェラーを含めて、すべてロスチャイルドがコントロールしている
・1%の富裕層が世界の富の50%を持つ。その1%の70%はロスチャイルド一族のもの。
・ロスチャイルドが巨大資産を手に入れたいきさつ:
 ヘッセン・アムシェル・ロスチャイルドが貴族の金庫番になった(1764)。
 ワーテルローの戦い(1815)で、(ロンドンの株式取引において)資産を2,500倍に。その後アフリカ、アジアでの搾取、奴隷売買などでさらに巨大な資産を築く。19世紀半ば以降は、財閥系の軍需産業が、対立するヨーロッパの国々の双方に金を貸して、武器を売って巨利を得ていた(戦争を企画したという話はないという意見もあるが、戦争で大量の武器を売って利益を得ていたことは間違いない)。
・ジョン・D・ロックフェラーは、ユダヤ人ではない。行商人の息子。石油(精製業)に転
じ、1863年にスタンダードオイル社設立。現在は、アメリカのGDPの50%はロックフェ
ラー一族の手にある。

2.戦争へのかかわり
・第一次世界大戦を起こした男:ハジル・サハロフ(武器製造業)
 イギリスの大手武器製造会社ヴィッカース社(ロスチャイルド系)の取締役となり、 ロ
 イド・ジョージ(英首相1916-1922)を買収とハニートラップで篭絡(イギリス公債を大
 量に買う見返りに、その半額を武器購入にあてさせる。)
ロシア、スペイン、ドイツなど、ヨーロッパ中の国に武器を売る。
 近代戦争のすべては、ロスチャイルドが支配する“ユダヤ国際資本”によって計画され、実
行されたと言われる。
・すべてが悪いとは言えない現実:例えば日露戦争ではロスチャイルド系が日本に資金(国家予算の5倍)を貸してくれた。これが無ければ、日本は戦えなかった。日露戦争の前にロシアでユダヤ人虐殺があり、これに対する報復という意味で、日本に資金提供した面もある。
・ロスチャイルドは、ナチス・ドイツにも資金提供(ユダヤ人虐殺のヒットラーが、ロス
チャイルドの人間は殺していない。1-2の例外はあるらしいが。)
・原爆開発資金はロックフェラーが出したという話もあるが、企画はロスチャイルド。予算
は国が出している。
・いわゆる正統派の歴史書では、財閥系が戦争を企画したというストーリーは前面に出るこ
とはない。藤井厳喜氏は、「国境ある経済の復活」という著書の中で、“企画”などは200%
無いと言っている。この人は、財閥による戦争企画(たとえばグラバーのこと)に関して早くから言及していた人だと思うが、なぜ200%などと書いたのだろうか?

3.通貨発行権
・アメリカ合衆国憲法には、通貨発行権を持つことが書かれているが、発行できていない。
アメリカ連邦準備銀行(12の民間銀行、主なものは、ニューヨーク連邦準備銀行):ロスチ
ャイルド銀行、リーマン・ブラザーズ、ゴールドマンサックスなどが発行している(ロスチ
ャイルドが全体を牛耳っている)。アメリカ政府は1株も保有せず。
・通貨を発行した、または発行しようとした大統領:
第7代 アンドリュー・ジャクソン(1829-37)
〇第16代 エイブラハム・リンカーン(1861-65)     
〇第20代 ジェイムス・ガーフィールド(1881 3-6月)  
〇第35代 ジョン・F・ケネディ(1961-63)       
 第40代 ロナルド・レーガン(1981-89)
(〇印は暗殺、他は暗殺未遂)
・リビアのカダフィーも、通貨を発行しようとして殺された(アフリカ独立銀行)。
・日本銀行の株は、日本政府が55%保有。しかし20-30%の株の保有者は不明という。ロスチャイルド系が保有しているという話もある。

日米戦争のアメリカ側の背景
1.アメリカの状況、またはアメリカ人が考えていたこと 
・欧米諸国(当時)のアジアの国々に対する普通の考え方:アジアはすべて植民地として搾取すべき領域。日本は残っている(大英帝国が、日本を戦争をする国に仕立て上げた面がある)。
・アメリカは基本的に侵略の国である(住民虐殺が多い)。 
米大陸先住民を皆殺しにし、ハワイ、フィリピンを占領してきた。米西戦争(1898)の後に起こった米フィリピン戦争(1899-1901)での虐殺はよく知られている。(日米戦争中の米軍の攻撃でも100万人のフィリピン住民が死んでいる。これを日本軍の攻撃によると宣伝している。)
支那にもチョッカイを出していたが、英国との関係でうまく行かず。
江戸末期の黒船来襲以来、日本を植民地にしようという意思を持っていたのであるが、孫文や蒋介石が出てきたあたりで、彼らを利用して日本を攻撃する具体策が出てきた。
アメリカが支那と関係を持ち始めたのは第二次世界大戦前からで、第二次大戦以後はもっと深く関係を持つ(これは第3部で話す)。
・アメリカ人の感情的問題:
日本は自分達の国が開国させて育ててやったはずなのに、日清、日露戦争に勝ったりして、植民地予定国から外れるどころか、白人国と対等になってきている。これは許せない。戦争をやっても、西洋諸国のように虐殺、略奪などをやらない。これを放置すると、西洋より上位の国になりそうだという危機意識も。
(日露戦争を仲裁したとして日本では善玉扱いのセオドア・ルーズベルトは、実際にはその後すぐに日英同盟の廃棄に動くなど、反日的。ロシアには賠償金を課していない。)

2.戦争の企画
・日米戦の企画はロックフェラーが中心だが、裏側ではロスチャイルドも企画から最後までかかわっている。(パパ)ブッシュ大統領の父親(ロスチャイルド系の武器製造業)は、早くから(1930頃)日米戦争を議会に働きかけていたらしい(コーデル・ハルは、このパパブッシュの父親の秘書)。
・コミンテルン(レーニンがつくった組織)の関与:
レーニン/スターリンは、共産主義世界革命を目指して各国政府内部に人員を忍び込ませて、戦争を企画していた(敗戦革命、中国の共産化)。日米を戦わせることは、ソ連にとって非常に有益。スターリンが、日米戦争の裏の主役とも言われる。裏でコントロールしていたのはロスチャイルド(これも第3部で話す)。

3.アメリカの戦略(詳細は第3部で)
米国は、日露戦争あたりから日本との戦争を検討している。1920あたりからは、米海軍はオレンジ計画の一環として。ただし、日本軍にもアメリカとの戦争計画はあるので、このような計画を指摘してアメリカを非難することはできない。
・日本とチャイナを切り離す:
清は、日清戦争後には日本に留学生を多数派遣して、日本に学び始めている。日本とチャイナが結びつくのはまずい(アジアに強い連合ができれば、白人支配が崩れる)。これを阻止するべくチャイナに精華大学をつくり(1911年)、多数の学生をアメリカに留学させ、アメリカ化することにした(習近平も精華大学出身)。
・日本の大陸進出をとがめ、ここを攻撃目標とする。「日本軍は残虐の限りを尽くしている」などと宣伝する(捏造写真をアメリカメディアに流すなど、実際とは逆のこと)。
・チャイナをけしかけて、日本と戦わす(軍事物資を送るなど)。チャイナは日本に勝てないだろうが、数年間かけて日本を疲弊させれば、アメリカが参戦して3か月くらいで滅ぼすことができるという目算。
・コミンテルンメンバーを利用して、日本政府の中枢部と連携して日本を戦争に導く。出発点として、真珠湾を攻撃させる。

日本側の背景(この項は、主に倉山満氏の「真実の日米開戦」の要約)
1.政治情勢
・p35 1925年、共産主義の結社を非合法化(正式に)
 この時期は政府の中央に共産主義者はいなくて、非合法化が可能だった。
・p55 清:日清戦争に負けて、辛亥革命(1911-12、孫文)で転覆。
 代わった中華民国は当事者能力なし→軍閥の群雄割拠。

2.p36 近衛文麿(1891-1945)について
・4つの思想(体制派、オールドリベラリスト、共産主義者、国粋主義者)をすべて体現する(四重人格)。
 一高(英文科)→東京帝大(文学部哲学科、すぐに退学)→京都帝大法学部(河上肇=マルキストの部屋に入り浸り)
 公爵なので、25歳で自動的に貴族院議員になることが決まっている。
 京大時代も含めて学生時代は、木戸幸一、原田熊雄とずっと一緒。
・p58 近衛の論文「英米本位の平和主義を排す」――植民地問題も論じる。この論文は、パリ講和会議(1919、1月)に行く途中、上海で英訳が発表され、反日に利用された。
(アメリカは、この頃すでに反日キャンペーンを行っていた。)
・(p83)いろいろの集団(右翼なども)が近衛のもとに集まる。
昭和研究会もこの時期に設立(昭和8年)

3.二二六事件(1936.2.2)の頃
・皇道派(北進論、統制派は南進論)が中心。狙われたのは、いずれも親英米派。
 →岡田内閣総辞職。 近衛を首相にする動き。天皇もそれをよしとして、大命降下。
  しかし近衛は断る。
 →広田弘毅外相が後継(約1年)。広田は無能。その後は、林銑十郎(4か月ほど)。
・p101 二二六の後、皇道派の追放(計3,000名の移動)
 あろうことか、大正期に廃止された軍部大臣現役武官制を復活させる(予備役になった皇道派が返り咲くことを防ぐことを目的とした)。これは広田の無能を示す例(城山三郎の小説では美化されているが)。
・p107 1937.6.4 第一次近衛内閣。海軍大臣は米内光政(阿川弘之が広めた「海軍善玉説」では良識派の筆頭。しかし、そうではない)。(海軍善玉説で、山本五十六のことが悪事とされなくなった。)
 外務大臣は、前首相の広田弘毅。前外務大臣の佐藤尚武は、イギリスとの関係修復を手掛けていた(協和外交)。就任4か月で、これをなぜ外したのか? 不可解。
・p119 近衛内閣では、四者(上記)が入り乱れて戦っている。
 近衛はこの4つの全体にまたがっている(統合しているのではない、グチャグチャ。)

4.p121-122 盧溝橋事件(1937.7.7、近衛内閣発足1か月後)(これは前回も話した。より詳しくここに。)
・少し前(1936.12.12)に張学良が蒋介石を監禁した。支那では、これに関する一連の話し合いの時期で、また国共合作についても話し合っている時期。 
 従来は、日本軍がこの盧溝橋事件を仕掛けて、それを「支那の挑発として」戦争を始めたことになっていた。しかし、それはありえないという。この時期の日本は、陸軍も政府も戦争を企画できる状況ではなかった。(海軍は、ここには関与しない。) 
理由:この時の参謀総長は閑院宮で、宮様の場合は参謀次長が指揮を執ることになっている。しかし次長は危篤。作戦部長の石原莞爾(ソ連に備えるべきで、支那と戦争すべきにあらずという意見。)と作戦課長の武藤は対立。調整役を担えるはずの参謀第二部長渡辺久雄は病気で寝込んでいる。杉山陸軍大臣は、あだ名が「便所のドア(どちらにも開く)」で、最後に意見を聞いた人の言うとおりに動く。→戦争の企画など、できるはずがない。
・p123-124 (7月11日夜8時、現地で停戦協定が調印された。)
そういう状況にあって、この日の近衛の動きは不可解。
朝: 風見の進言を受けて、軍事的な大きな一撃を加えることに同意。
午前:事件の不拡大方針と現地解決を確認しつつ、動員中止発言。
午後:天皇に対して、外地の軍の一部転用と内地から3個師団を出す予算を上奏。
   (天皇は派兵反対)
夜:停戦協定の調印が済んだ夜9時、言論界や政財界の主だった人たちを首相官邸に集めて、「支那に反省を求めるために軍を出す。関東軍、朝鮮軍の他に内地からも。」
 (バカか、アカか、真人間か?――これは倉山の意見) 
 軍はやれないと言っているところへ、近衛が煽りまくったと言うべき。

5.海軍もかかわって戦争
・p131 北支は陸軍、中南支は海軍と分けていて、海軍は北支には興味を示していなかった。そこへ、上海で大山勇夫中尉殺害事件(1937.8.9、第二上海事件のきっかけ)が起こる。米内海軍大臣は、海軍陸戦隊を上陸させると発言するなど、急に強硬に。
 近衛総理の発言は「断固たる措置を取る」――これが公式見解となる。→全面武力衝突へ。
 一連のことには、蒋介石側に入りこんでいた共産分子(張治中、後にソ連のスパイだったことが判明)の動き、すなわち蒋介石の意見を無視した上海での戦争拡大もあった。結果は日本軍に殲滅されたが。
・p139 1937年9月には第二次国共合作が成立(もちろんスターリンの命令)。
・p141 南京陥落(1937.12.13)。日本軍は南京の住民と平和的に交流。“大虐殺”は、米と支那が捏造(戦後、本田勝一がさらに捏造)。(水間政憲氏の本、参照)
・p143 陸軍は交渉を進めようとするが、広田外相などは強硬。
 1月16日、近衛が「以後、国民政府を相手とせず」と声明。→交渉の破綻にとどめを刺した。(普通、交渉の窓口は温存するものである。)
・近衛内閣は総辞職(1939.1.4)
 結局近衛(第一次近衛内閣)は、支那事変を起こし、戦争をやめられないようにふるまい、辞職。わざとやっているとしか考えられない。
・1939.5月、ノモンハン事変(ソ連がアジアで動き出した)。
・安部信之首相(8月30日)へ。この人(短命内閣)の一つだけの功績は、9月1日ダンチッヒ侵攻に始まるヨーロッパの戦争に、「日本は関係ない」と、介入しなかったこと。
・p166 東條陸相――「侵略戦争の象徴」のように言われる。確かに多くの戦争推進の発言をしている(とくに日米開戦後に)が、これはポジショントーク(小役人体質)である。

6. 第二次近衛内閣(1940.7.22)
p170 大政翼賛会設立:
 組閣3日前の7月19日、近衛は東條、吉田善吾(海軍中将)、松岡を自宅に集める。ここで合意した事は、「大東亜新秩序」、「国防国家体制」を明記した「基本国策要綱」として2月26日に閣議決定されている。要するに、財政のすべてを軍事に向けるということ(軍が予算を取ったように言われるが、近衛がやったこと)。
 この頃から、大東亜共栄圏が叫ばれるようになる(支那は英米に付いているのだが)。
・p171 近衛が政権に帰り咲いたとたんに、全政党が解散して大政翼賛会へ。中溝多摩彦の「防共護国団」などが暴力的圧力をかけて、やむなく。
・p176 松岡洋右(外務大臣):
 もともと親米派。(第一次上海事変では、イギリスと話し合いで決着。国際連盟脱退は、近衛の方針。)
 しかし、第一次近衛内閣で宇垣が潰されたように、松岡も潰される。
・1940年7月16日には、アメリカはくず鉄の輸出を禁止。そのほか、1940-1941には、石油その他の禁輸、日本の在米資産凍結など、いろんな締め付け。
・松岡は、英(頑迷固陋なチャーチル)、米(ルーズベルト)とは話し合いはつかないと、三国同盟を決める(1940年9月27日)。
・p183 近衛の裏切り:松岡の不在中に、岩畔豪雄が米宣教師らと日米交渉を始めることを、近衛が追認。
・p186 石油はインドネシアにある。アメリカと戦争する必要なない。(インドネシアはオランダの植民地だがドイツの支配下にあるのだから、同盟国からもらうだけで済む。)

7.(p200) (第4章) 対米戦争を避けられなかった間抜けな理由
・ドイツとの同盟で、英米との関係はさらに悪化。ルーズベルトは圧力を強める。ルーズベルトは、「松岡が外務大臣である限り、交渉はできない。」という。ここで、近衛は、松岡を外すために総辞職(1941年7月18日)。同日に第3次近衛内閣。
→近衛はここで、戦争は「自分が止める」と、ルーズベルトとの直接対談を申し入れる(8月28日)。これに関する野村大使とハルとの一連の交渉の中で、ハルは好意的であったという。しかしルーズベルトは、「要求をすべて飲んだら会う」(9月3日)として、会わない。松岡を解任したことは、誠意を見せているのだが、ルーズベルトは完全に不誠実。
・41年7月28日、日本軍仏印進駐。これを、アメリカが日本攻撃の最も具体的なネタにしている。
・フィリピンはアメリカにとって不要の土地だった。フィリピンの植民地経営で暴利を得ているのは、一部の特権階級(その主要人物が、ダグラス・マッカーサー)。しかし、「フィリピンを素通りしてインドネシア(とブルネイ)を落とす」という考えが、日本にはできなかった。――これが昔からある「英米不可分論」
→ところが不思議なことに、いざ米国と戦わざるを得ない話になると、「英米可分論」になる。明治40年以来、陸軍はロシアを、海軍はアメリカを「仮想敵国」としてきた。――そこへ、「アメリカと戦う準備はできていない」では海軍の立場がなくなる。これが真珠湾攻撃の理屈というわけか? しかし、海軍の99%は真珠湾に反対だったという(前回メモ)。
・p222 そして10月14日、ゾルゲ事件が発覚。2日後の10月16日に近衛が総辞職。18日に東條内閣。
・支那事変を長引かせ、全体主義国家へと導いたのは、左翼系の知識人と革新官僚であった。
 
8.東條内閣
・p227 東條は何をしたか
 近衛が内閣を放り出したのは、自分が戦争を推進したことを隠すための偽装工作である(この本の著者倉山も、そう考えている。→これは林千勝氏と同じ。しかし倉山は、「証拠が見つかるまでは、断定を避ける」と言う。)。
 次の総理として候補者は何人か出されたが、木戸(総理推薦権を持つ)は陸軍を抑えることができる可能性のある東條を選ぶ。
 9月6日の御前会議の結論(対米戦争やむなし)を白紙に戻し、対米交渉やり直しを条件に、東條に大命降下。東條は和平への道を邁進。閣僚も和平派で固める。このまま行けば、対米戦争は回避できたはず。
しかしルーズベルトは狂人(? 実際はロスチャイルドに操られていた)。この段階で(11月26日)ハル・ノートを突き付けてくる(以前に話したように、ハルが書いたものではない。ハルは、一時休戦案を出そうとしていた。)。もはや戦争を避ける道は無いと、御前会議へ(12月1日)。
・12月8日 ハワイ攻撃(前回、詳しく話した)。
・1942.2.15のシンガポール陥落後に、武藤章(軍務局長)が和平を進言(本来なら絶好の時期)。→東條は武藤を解任。東條の圧政が始まる。多くの人を解任。憲兵による恐怖政治。役所仕事的に戦争を続けた。(初期には連戦連勝だったことから、東條が変になった。戦争を事務的に進めていった。)

日米戦争は日本にとっては自衛戦争だった
a) 資源:石油の80-90%は米国からの輸入。くず鉄、鉄鉱石も大部分は米国からの輸入。
b) 大陸進出をしていたことは確か。しかし、侵略と虐殺の国であるソ連を満州と朝鮮で止めるのが基本方針(とくに皇道派の)。日本軍を支那との戦争に導いたのは、主にルーズベルト配下のコミンテルンメンバーと連携する日本国のメンバーたち(蝋山政道、牛場友彦、風見章、尾崎秀実、松本重治、白洲次郎など)。
米英は、一貫して蒋介石をけしかけている(戦争の何年も前から武器などを供給)。 
c) 挑発を受けた日本側は、米国には勝つ見込みはないので、南方(英国)へ向かう方針。陸軍秋丸機関(注)は、南方に向かって英国と戦えば勝機ありとした。
d) にもかかわらず、日本をアメリカに向かわせたのは、アメリカの工作の成功。その工作の最も重要なものは、山本五十六に真珠湾奇襲をさせたこと。
実は山本は、もう一度裏切る。昭和17年4月頃には、日本軍は南方へ向かう路線に戻りかけていたのを、再度太平洋にかじを切らせた。ミッドウエー、ラバウル、ガダルカナルである。これで日本の敗戦が決定的になった。
 
注)秋丸機関:
・司馬遼太郎は、「陸軍は行き当たりばったりの無謀な戦争をやった」という(この人にはWGIP=War gilt information programの効果が出ていると言うべきか)。この人気作家の発言が多くの日本人に、「陸軍の無謀な戦争による敗戦」という考え方を定着させたのかもしれない。実際には陸軍は綿密な検討を行っている。
・昭和14年ころから、岩畔豪雄(イワクロヒデオ、中野学校もこの人が作った)を中心に、対英米戦が戦えるのかを経済面を含めて検討している。その検討機関が「陸軍省戦争経済研究斑」(通称秋丸機関)である。結論は、米国に勝つのは無理ということ。
・しかし実際に米国が鉄、石油等の輸出停止をはじめる段階になると、活路を見出す以外にない。国家存亡の危機に際して、さらなる検討が迫られてきた。
・有沢広巳(東大助教授、治安維持法違反で仮保釈中)を採用して、打開策を徹底的に検
討。
以下は、その検討結果:
・長期戦は難しい。しかし、占領した敵国領土の生産力を利用することで広域経済圏を形成
し、生産力を上げることは可能(現実にインドネシアの石油は利用できた)。
(林千勝、「日米開戦」p55の図。日米の経済交戦力を時間軸に沿って推測。)
また、p73には、英米の経済交戦力のシミュレーション(占領地からの補給で日本の経済力を上げる)。
・米国は兵員、戦費共に十分にある(さらに中国やソ連に援助する力もある)。ただし、そ
の力をフル発揮するのに1-1.5年はかかる。
・米が英国に支援物資を送るための商船は不十分(Uボートに沈めれれている)。
・そこで、日本の方針:
 英国を主な対戦相手とする(1-1.5年)。(1年以上たつと米からの援助力が上がるので、
1.5年を限度に決着をつける。)
・米→英の支援力は、船舶建造とドイツ、日本による撃沈との競争(日本海軍は、商船、輸
送船の撃沈が少ないのが問題だが)。
 現時点(開戦前)では、米は英国本土へ物資を運ぶ余裕を持たない(下記)。
・英国植民地に対する戦線を拡大する。とくにインドへ。
・米国に対しては、英、ソ連等への援助を継続させることで疲弊させる。
 また、反戦気分を醸成するプロパガンダを。あるいは、なるべく早く対独戦へ追いやる。
・これらを推進したのは、「陸軍省戦争経済研究班」に集結した有沢広巳その他の、わが国
最高頭脳たちの「勝利への執念」だった。
この一連の研究において、「太平洋」は全く出てこない(太平洋戦争ではなかったのだ)。

日本側におけるロスチャイルド系の動き(詳しくは第3部で)
 日米戦争の影の演出者はスターリン(その裏にハリマン)だとも言われる。レーニンが組織したコミンテルン(共産主義革命を世界に広げると言いながら、実質は世界をソ連の支配下に置くための組織)メンバーは、近衛グループの中核にも入り込んでいる。レーニンによる革命直後のメンバーの大多数は、ロスチャイルド系ユダヤ人である。
 日米戦争に企画段階からかかわっているのはロックフェラーであるが、背後でコントロールしているのはロスチャイルドである。また、ロスチャイルドは日本国内にも入り込んでいる。阿片密売のウイリアム・ケズウィックと近い関係にあるSを利用して、近衛中枢部に入りこんでいる。

・SとY:
ロスチャイルドは、支那へのアヘン輸出で大金を得ている。その流れで、日米戦争にかかわってくる。Sをうまく利用している。
・S(1902-1985):白洲文平とウイリアム・ケズウィック(イラン出身で後に英国籍、インドと中国での麻薬取引で巨富を得る。)の娘の子(子供の時は日本語はほとんど話せなかった)。
・Y(1878-1967):竹内綱と○○の子。3歳で吉田健三の養子に。吉田健三(1849-1889)は、1866に英国に留学。帰国後、ジャーディン・マセソン商会横浜支店長。日本政府相手に、軍艦、武器、生糸の売買。その後、醤油の醸造業。
・Sはロンドンに10年間居て、ケンブリッジ大学で学んだという(入学した記録は無い、聴講生か)。10年間にはかなりの数の日本人がイギリスに行っているのだが、誰とも会った形跡がない(Sに関する本は数100冊あるが書かれていない)。京都帝大を卒業後にオックスフォード大に留学した実兄とも、会った記録がない。
・Sは帰国後に樺山愛輔の娘正子と結婚。Yとも親交を結ぶ。イギリスに行った時は、駐英公使だったYの官舎に住み込むほど、この2人は親密に付き合っていた。
・S/Yは、コミンテルンメンバーとは別行動。敗北後に動く財閥解体などの現場で稼ぐ方向。
・Sのダーティーマネー:
① ジャーディン・マセソン商会(ジョン・ケズウィックの父親ウイリアム・ケズウィックが社長)から自由に引き出せる。 
② 日本水産(鮎川義介)の一味に加わっていた。
この会社は、昭和通商(世界中で武器、阿片の売買)と共に密貿易を行っている。
・1943年(昭和18年、すなわち日英は戦争中)に、ジョン・ケズウィック(世界の阿片王、Sの母ちがいの兄)は、阿片(350トン)を英国軍艦で上海に運んでくる、これを三井が買うのだが、Sが秘密工作員として関与。(現在の阿片の末端価格は1グラム6万円だから、1トンで600億円)
・Sとジョン・ケズウィックは、日本政府の中枢に潜り込むことを早くから狙っていた。一方ヨハンセングループは、Sの裏金を目当てにメンバーに加えた感じである。(S/ Yは近衛の朝食会、昭和研究にも出入りしていた。)
小林秀雄や河上徹太郎も、Sのダーティーマネーに近寄っていたという話がある。

S/Yの開戦にかかわる動き:
・ジョン・ケズウィックは、S/ Yを通して天皇家のスキャンダルなども知り尽くしていた
(孝明天皇、睦仁親王の件、明治天皇の件、さらに大正、昭和期のごたごた、などなど。ここには書けない)。これらをネタに、ヨハンセングループを通して、日本を戦争に導くよう脅す。見返りとしては、戦後に①平和主義者とする。②パージはしない。しかも当然ながら、財閥解体のおこぼれがある(下記)。

S/Yの戦後の動き
・S/Yは、戦後の混乱の中で稼ぐことを狙っていたわけだから、日本の政治体制が崩れない方式の敗戦を作り出す必要があった。すなわち、Yとしては早く終戦に持ち込みたいわけで、“親米和平派”として活動。ケズウィック、近衛グループとの付き合いなどから、あらゆる裏事情に通じていた(前回のメモに記したように、東京大空襲、広島原爆の日程も事前に知っていたようである)。
・戦後、SはGHQ(占領政治の中枢)に入りこむ。
最も公正な米軍人であるケーディスにスキャンダルを仕掛けて、米国に帰国させ、後釜のウイロビーを利用する。Sは、下山事件にも関与している可能性。
・財閥解体関連:
四日市燃料廠をダッチシェルと三菱(いずれもロスチャイルド系)に売った。760億円(現在の3兆8,000億円)の価値があるものを、16億円(現在の800億円)で売った(98%割引?)。一方、広畑製鉄所をマンセン商会に売る工作は、永野重雄の頑張りで撃退された。
(実際は朝鮮戦争をやるために、財閥が必要で、ハリマンが解体をやめさせた。) 
・Yを総理大臣に:
戦後初めての帝国議会(衆議院)選挙は、大日本帝国憲法のもとに昭和21年4月10日に、幣原内閣のもとに行われた(初の女性参加)。過半数ではなかったが、勝ったのは鳩山一郎を首班として戦った日本自由党。鳩山に大命降下(5月2日)。S/Yは、これはまずいということで、GHQを利用して鳩山をパージ(5月4日)。続いて、次に中心になりそうな石橋湛山もパージ。それでY内閣ということになる(5月16日)。

日米戦争がもたらしたもの
1.率直ないくつかの感想
・1945.8.15 いわゆる玉音放送を聴いた。国民学校(小学校)一年生だった私は、戦争の意味も敗戦の意味も理解していない。大人たちが泣いている理由も分からなかった。軍の一部は戦争継続を主張していたらしいが、一般国民にはそんな雰囲気は無かったと思う。日々の食料を得るという、目の前の重大問題に押しつぶされていた感じである。
・戦時中の米軍は、都市住民への爆撃や機銃掃射など、ひどいものであった。しかし、米占領軍(兵隊)は基本的には悪くはなかったと思う。暴行や殺人は、初期にはある程度はあったようである(規制が強く報道されていない)が、これは西洋諸国の軍隊では普通のことで、仕方ないことともいえる。暴行殺人の少なさは、日本側の対応によると言われる。日米戦争ほど完全に降伏が実行された例は、他になかったのではないか。(これは天皇の力とも言えるだろう。)
・日本は敗戦したにもかかわらず、アジア諸国は植民地から解放された。これは人類史に残るべき偉大な業績である。植民地からの解放はすべて日本軍によって行われたというわけではないのだが、(日本軍は悪いことばかりしたとして、反論したがる人がいるので)ストーリーを少しだけ付け加えておく。
オランダはインドネシアに、戦後に植民地を回復するための軍隊を送っている。インドネシア軍が戦ったわけであるが、残留日本人も一緒に戦っている(2000人中1000人が戦死)。ベトナムは、戦後にフランスを相手に独立戦争を戦っている。ここでも、残留日本人が戦っている。(東南アジアの国々は近代戦争をまともに戦ったことが無かったので、日本軍人の戦闘指導が不可欠であった。)
東南アジア諸国では、西洋の植民者を日本が追い払ったことで、独立の機運が出てきたことがよく理解されている。しかし朝鮮と支那では、アジア人でありながら、言及されることがない。もっとおかしいのは、これら韓国や中国を、正しいものとして報道し続けた日本のマスコミ(朝日新聞その他)の存在である。
・焼け野原となった日本の都市中心部で、土地を囲った外国籍の者達が多数いたことを、大人たちから聞いた。外国人の受け入れは、きれい事だけでは済まない問題を含んでいる。

2.戦勝国アメリカが戦後に行ったこと
・アメリカは日本との戦争で、それまでの戦争とはずいぶんと違った経験をした。日本軍は他の国の軍隊よりもはるかに強い。乏しい武器で米軍と対等に戦う。中国や東南アジアの占領地で略奪や暴行をほとんどしない。このような国(国家意識と、モラルが高い国)が国際社会で主要国であり続けたら、植民地をつくって残虐を続けた西欧諸国よりも上位の国となる可能性がある。これをつぶしておく必要があると考えたようである。
日本を物理的に破壊しただけでは不十分で、日本文化あるいは日本人の精神まで破壊することを目指したのである。アメリカが中心となって、東京裁判とWGIP(War guilt information program)を行った。その延長線上に、彼らの予想を超えていたかもしれないが、戦後70年にもわたって占領軍の政策であるWGIPが継続された(現在も続いている)。
・WGIPを継承したのはもちろん日本人であり、日本のマスコミである。この現象は、明治初期に文明度の進んだ西洋と接した一部の日本人エリートの西洋崇拝感覚に起源がありそうである。たとえば森有礼という明治初期に文部大臣になった男は、「英語を国語にしたい」などと発言している。この種の人間がかなりの数わが国の上層部に居て、影響を与えていた可能性もありのではないだろうか
WGIPの継承も日米戦争の続きであり、日本国あるいは日本人にとっては、見方によっては日米戦争以上に重要な問題であると、言えなくもない。現時点では要点をまとめる程度のことしかできないが、より詳しく検討する必要がある(後述)。

3.東京裁判(極東国際軍事裁判):
戦争というのは、独立国が国家を守る手段として国際法で認められているものであり、これを行ったからと言って法律違反ではない。アメリカとしては、自国が主導して仕掛けたということを隠蔽するためには、日本とその指導者にいろいろの罪を着せて処罰する必要があった。
訴因はたくさん(55項目)に分けられているが、大きく分けると3つである:「平和に対する罪」、「人道に対する罪」、「通常の戦争犯罪」。平和に対する罪と言いうのは後で作ったもので、「事後法で裁かれることはない」という裁判の基本に反するものである。
人道に対する罪というのは、ユダヤ人虐殺を行ったドイツを裁判にかけた(ニュルンベルク裁判)時のものである(ただし、“600万人のユダヤ人虐殺”という裁判は無かったらしく、ニュルンベルク裁判では取り上げられていない)。アメリカや中国が「南京大虐殺」などをでっち上げたが、結果的にこれが適用された人はいなかった。これを適用するならば、アメリカの原爆投下はどうなのかという質問がアメリカ人弁護士から出されて、検事側が慌てふためいたことが知られている。
結局は、B級戦犯を裁くための「通常の戦争犯罪」だけがまともな提訴理由であった。しかし、戦争指導者たちは戦地に赴いていないので、実際にこれを適用するのは難しい面がある。
 ともかくも強引に裁判が進められて、東条英機ら7人が死刑となった。その他の人たちも多くが終身刑となり、一部の人は有期刑となった。

・日本の国体を崩すという面では、アメリカよりもオーストラリアの方が強硬だった。とくに天皇を裁判にかけるという面では強硬で、それには占領米軍を増強するなど“経費が掛かりすぎる”などと、マッカーサーが説得してやめさせたという。
・「人道に対する罪」に関して、ヒットラーと東條が全く正反対だったことが、少なくとも1つはある。東條が関東軍参謀長だった時に、ドイツから逃れてきたユダヤ人2万人に対して入国許可を与えている。ドイツからの強い抗議を、「人道問題である」として一蹴している。杉原千畝の話はよく知られているが、こちらはほとんど知られていない(もう一人の杉原として知られる樋口季一郎中将)。

4.WGIP(War guilt information program):
 東京裁判はアメリカの悪事(日米戦争を企画主導したこと)を隠すための第一歩であるが、これだけでは不足だと考えた。日本の政治家に罪を負わすことで、日本が悪かったということを一応“証明した”わけだが、ここで終わりにすると、占領が終了して情報管理ができなくなったら日本人あるいは日本文化が立ち直ってくるだろう。結果的にアメリカの悪事がばれて、“偉大な民主主義国”アメリカとしての地位を保つのが難しくなる。日本という国を、もっと根本的な所から破壊する(文化破壊)することが、アメリカにとって必要だと考えたわけである。WGIP(日本が悪かったと思い込ませるプログラム)(1945.10.2から)というのは、この目的で行われたのである。
 前項にも書いたが、米英を含む西洋の国々がアジアやアフリカでやった略奪や残虐に類似することは、日本人すなわち日本軍はやっていない。しかも国際的に高位の国として成長してしまった。これが、彼らには許せなかったわけである。
そこで、日本の評判を悪くするべきと考えたのである。林千勝氏は、「日本に原罪(キリスト教用語)を与える」という言い方をしている。典型的なのが「南京大虐殺」である。南京陥落の直後から、アメリカと支那が協力してさまざまな偽のストーリーや捏造写真をつくり、これを日本軍の残虐行為として宣伝したという。
 WGIP活動は、アメリカ軍が表に出ないように行われた。1945年12月8日(これは真珠湾攻撃の日に合わせている)から10回にわたって、「太平洋戦争史」を日本の全国紙に書かせた。(わが国では用紙が不足していた時代である。紙は進駐軍が支給。)そこで南京大虐殺を含むさまざまな残虐行為が連載された。さらに12月9日からは、NHK(ラジオ)が「真相はかうだ」という番組(計10回)を始めた(日本を貶める内容)。前後に人気番組を挟んで、多くの人が聴くように配慮した。
さらにもっと巧妙に日本人の反感を買いにくい操作をして、「真相箱」などの番組を1948年1月まで続けた。新聞記事もNHK番組も、GHQ(連合国最高司令部)ではなく日本の製作として発表させている。(新聞記事は本になっている。ラジオ番組の元になった写真や記事なども本としてまとめられている。)(水間政憲氏の本などを参照)
・WGIP事業の基本方針は、「悪かったのは日本軍あるいは日本軍国主義であり、日本人は悪くなかった」とすることである。戦中の軍国主義は、特高警察や憲兵などなど過酷なものも多くて、「軍が悪い」ということは日本国民には受け入れやすかったのである。これによって、アメリカと日本国民は味方同士となり、日本軍国主義だけが悪者となった。巧妙な作戦である。
・日本人のほとんどは、日本軍を嫌い、またそれが自分たちの国の軍だったことを恥じるとともに、これを成敗してくれたアメリカに感謝するという雰囲気まで出来上がった感がある。残念ながら、私自身もかなり本気で信じた面がある。
・中国問題や韓国問題に関して、まともなことを発言した政治家が無かったわけではない。しかし彼らは、野党(コミンテルンメンバー)やマスコミの一斉追撃を受けて、ほとんどが発言取り消しなどに追い込まれた。

5.GHQの活動を引き継ぐ日本人
・GHQは占領軍なので、日本を悪く言うとか、これを改良してよい国に作り替えるなどと
言うのはやむを得ない面がある。問題なのは、その後の日本のマスコミあるいはそこに生息
した日本人たちの“働き”である。
昭和26年のサンフランシスコ講和条約で日本の独立が決まり、27年には米軍は撤退し
た。普通に考えれば、これでWGIPも終わりで、そこから日本人らしく考えて生きて行くとか、日本のあるべきかたちを構築する仕事に取り掛かることになるだろう。しかしながら、WGIPは消滅しなかった。あるいは自己増殖した感がある。日本のマスコミは、その後の70年にわたって、日本がいかに悪かったかを言い続けてきた。日米戦争は日本が仕掛けたものだとか、日本軍は中朝に残虐行為をしたとか、さらにはアメリカはもちろん中国や北朝鮮がいかに素晴らしい国であるか、言い続けてきた。
・これが事実であれば忘れてはならないのであって、国の指導者たちやマスコミが忘れない
努力をすることは重要であろう。しかし作り話であったら、すなわち一部の(しかも指導的
な立場の)日本人たちがWGIPの計略を無定見に継続しているのだったら、とんでもない
ことである。実際にこれらは、わが国が国際社会で活動することに深刻な障害となっている。
なぜ日本の報道機関あるいはそこに生息する日本人がそんなことをしてきたのだろうか?
GHQ支配下の朝日新聞やNHKのスタッフ(主に上層部の人間だろうが)は、占領下では占領軍の手下として働いていたわけで、一種の権力者だったのだろう(戦後利得者?)。その間に報道した内容は、いつの間にか自分の考えになってしまったのではないか(ひょっとしたら、アメリカ人的な考えを持つ日本人もいたかもしれない)。GHQが無くなって意見を変えたら、それまでの数年間はGHQの手下として嘘をついてきたことがばれるのが困るということだろうか。
 あるいは、GHQに雇われた日本人やその後WGIPを引き継いだ日本人は、自分で物事を考えるレベルに達していなかったというのだろうか。朝日新聞をリードするとか、その規格に沿って何かを書く“日本を代表する学者”がそんなことをするとなると、わが国の“民度”が問われることになる。少なくとも、彼らが受けた教育に欠陥があったのでは、と思わせる問題となる。
こんなことをしたのが1人とか数人なら、分かる。でも一体何人の人間がそのような、国
家をむしばむ作業にかかわり続けたのだろうか? 初期のWGIPにかかわった者たちが政治、マスコミ、教育の中心に“居続けた”というだけではない。小、中校、高校の教員を利用し得“自虐史観”を次世代に伝えさせた。これは、米軍の存在よりも千倍も恐ろしいことのように思える。このあたりのことは、私は理解不十分で、今後さらに検討する必要がある。以下には、断片的な知識を少しばかり並べておく。

戦後70年以上にわたってWGIPを受け売りしてきた日本の主要メディア
・当時のだいひょうてきな総合誌と言えば朝日、毎日、読売だろうか。1945-1952年あたりに、これらの新聞はWGIPとしての報道を担わされた。米軍が撤退した後も、組織としてもスタッフたちもそこから抜け出せず、その後も変わらず同じことを「正義の主張」として続けた。
 朝日新聞には、近衛側近のコミンテルンメンバーが多数(尾崎、風見、などなど)いたわけで、組織全体がコミンテルン的になっていたことはうかがえる。近衛が死んでくれたおかげで、東京裁判で近衛側近は糾弾されることなく、死刑になった尾崎は別として、戦後も活躍している。戦後の政界では、主要なコミンテルンメンバーは共産党ではなく社会党に入って政治家として活動したようである。
朝日がWGIP的な考えを維持した(維持し続けている)ことは、現在ではよく知られている。本多勝一の“南京大虐殺”捏造と、吉田清治の“慰安婦”捏造はとくにひどい例であるが、本多は数々の虚偽報道をしている。“南京”報道は1972頃だから、戦後27年も後に書いているわけである。あまりにも熱心なWGIPの継承者というべきか。一方、吉田はWGIPとは無関係な単なる嘘つき(あるいは売名)なのかもしれないが、朝日はこれを執拗に取り上げ続けた。
朝日は当時の名だたる近代史研究者を集めて、「太平洋戦争への道」全7巻の研究書+資料集を出版している(1962-1963)。何が何でもアメリカ(ルーズベルト)は悪くないという大前提で、日本側の犯人捜しをしているらしい(私は読んでいない)。
 NHK、毎日、読売も、朝日ほどではないと思うが、似たような経過をたどったのだろう。そのあたりのことは、今後調べてみたい。
・岩波書店もわが国の言論界に君臨したのだが、戦後岩波史学の祖と言われる今井清一は、尾崎秀実の娘婿である。結婚前から尾崎の影響を受けていたのかもしれない。
・GHQは、共産主義者も味方につけた(共産主義者は、本当は戦争を煽った戦犯なので、米国の追及を恐れていたのだが、これを味方につけることで、彼らが積極的に協力した)。彼らも、“進歩的文化人”の一員として戦後の言論界をリードした。
刑務所に収容されていた徳田球一、志賀義雄らを釈放。天皇制の打倒などの主張を容認して、味方につける。
・WGIPの継承とは無関係の知識人(例えば櫻井よしこ氏など)も、それなりの数がいることは確かである。しかし、これらの人は“右寄りの人”などと言われて、わが国の言論界の中軸を担人とは考えられていない(近年は、少し改善されてきた感があるが)。

補遺1
この文書の最初の部分「戦争の分類または戦争の原因」のところで、人間には「争いをしたがる感情」があること、さらに為政者が比較的簡単に「兵士を調達できる」(徴兵)ことが、戦争の原因になることを記した。私には、これをまともに論議できるだけの知識もアイデアも無いので、項目を示しただけである。ここでも議論を深めることは無理なので、将来のために問題点を書きとめておく。
① 戦争をする方向へ向かう感情:すべての人間が争いを全く好まないのであれば、戦争は起こらないだろう。しかし人間には、争いを“好む”または“求める”性質があるように思う。たとえば柔道、剣道、空手、ボクシング、などのスポーツは、個人的な争いをゲーム化したものだろう。また、能力や地位や収入などに関して、他人や他の集団に対して嫉妬心を持ったり、攻撃したりする性質もある。これは、脳の機能にかかわる問題であろう。人類が文明社会を築く歴史の中では、それがポジティブに働いた面もあり、一概に否定することはできないだろう。争いや悪意は文学や宗教で取り上げられる問題かもしれない。しかし、文学や宗教が何かを解決してくれるわけではない。人間がマスコミその他の扇動によって戦争へと向かいやすいのは、ベースにこのような性質があるからだと思う。
② 戦争は主に男がする(させられる)ものであるが、男には自分が属する(あるいは支配する)集団を守りたいという性質がある。文明を築く前の、動物レベルの頃からオスに付随していた性質を引き継いでいるのだろう。しかし、文明初期の武器はこん棒とか石、あるいはせいぜい刀と弓だったはずで、努力次第では生き延びることができた。また、社会的な仕事のほとんどは男がやっていて、戦争に行くことは社会的な地位を得ることも関連していた。すなわち、戦争に行くことのメリットはそれなりにあったのである。しかし、機関銃や大砲が登場した後の戦場は地獄でしかない。一般兵士として参加するメリットは皆無であろう。
③ 現在は参政権を含めて、男女に社会的地位の差は無い。しかし兵士のほとんどは、若い男である。武器が異常に発達している現代の戦争への徴兵は、無実の罪での死刑に近い。言いかえれば、政府が徴兵権を持つこと自体が異常な状態のはずなのだが、これが議論されたことはほとんどないと思う(これを論じた本を見たことはない)。現在でも侵略を目指す異常な国が存在するわけで、これに対処するには誰かが戦場に行かざるを得ないという事情もある。兵士の選抜方式と命への代償を議論することが、重要というか不可欠であろう。(世界中で兵士の人権が認められれば、戦争はできなくなるのではないか。)
④ 将来的には、戦争をすることは不可能になるかもしれない。現在でも、攻められている国は核武装していない国であり、核ミサイルを持つ国が攻められることはない。すべての国が核武装すると、戦争はできなくなるのではないか。世界中から核兵器を廃絶しようという運動があるが、それは世界大戦のような大戦争を復活させることにつながるのかもしれない。核廃絶のためには、核兵器が無くても戦争を阻止できる方法を作っておくことが不可欠であろう。日本は核アレルギーの国だが、アメリカがいつまでも守ってくれるわけではない。冷静に議論する必要がある。

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