03 研究のこと

1.1983年まで

1967年に結核胸部疾患研究所細菌血清学部門(教授は上坂一郎先生。故人)の助手になる。採用の条件はほとんどなく、「結核の免疫に関連する研究」をすればよいという程度。おおらかな時代であった。しばらくはトレランスの研究を行っていたが、結核関連ということで、遅延型過敏症(DTH)の研究へと進んだ。ヘルパーT細胞とDTHを媒介する主要なT細胞は、いずれも今で言うCD4T細胞である。(注。現在では多様なT細胞がDTHに関わっていることが知られている。)これらが同一の細胞なのか否かということを目標と定めて仕事を行った。DTHを誘導する条件とヘルパー活性を誘導する条件を決めるために、かなり膨大な実験を行った。その後T細胞のクローン化技術が作られて、クローンレベルでの研究へと進む。1983年には、ヘルパー活性を持つThクローンとDTH活性を持つTDTHクローンも出来て、これらの活性が別々の細胞によって担われることも明らかとなった。MossmanらによるTh1/Th2クローンの発表より2~3年前のことであった。 実はこの仕事は中止してしまった。直接の理由は、この研究で科研費がまったく得られず、継続発展させることが困難だったからである。自分の思い入れと世間の反応の間に差がありすぎたのである。結局、多数決的に考えれば自分のほうが間違っている(すなわちこの研究には大した意味がない)可能性が高いと考えざるを得なかった。しかし、1986年にMossmanらによってわれわれと同じ内容の論文が発表されると、多くの人がそちらへと傾斜して行ったように思う。この分野への研究費もたくさん出されるようになったらしい。

実は、並行してあと一つ仕事をしている。当時、抗原特異的な抗体をつくっている細胞を単一細胞レベルで検出することは可能であったが、抗原特異的なT細胞を個々に検出する方法はなく、T細胞の研究は定量性に欠ける面があった。私は、T細胞の研究を抗体産生細胞なみに定量化することを試みていたのである。活性化されたT 細胞はVSV(Vesicular Stomatitis Virus)に感染するという報告が米国の研究室から出され、これを応用することにした。VSV感受性T細胞は抗体産生細胞より2日ほど先行して応答するという結果が得られて、この成果は一流誌にいくつかの論文として発表することができた。

生体の機能に関して、個々の細胞の機能を知ることができれば、メカニズムは格段に詳しく理解できる。VSVによるT細胞研究は、その意味で後のT細胞分化の研究に生かすことができた。すなわち、個々の造血前駆細胞の活性を開発する研究(後述)につながったのである。

一方、私たちは当初、VSVで検出されたT細胞はヘルパーT細胞だろうと考えていたのだが、その後の研究で免疫の抑制にかかわるT細胞(現在は制御性T細胞と呼ばれている。)であることが明らかとなった。具体的には、抗原投与後にVSVを感染させるとDTHが異常に強く発現し、その状態は何ヶ月も続くのである。これはマウスの実験であるが、ヒトでも同様のことが示されれば、がんの治療に免疫を使えるようになるのではないかと考えた。臨床の教授から、がん治療への応用を開発したいという申し入れまであった。しかし、VSVを患者に感染させるわけにはいかない。VSVは人間にとって危険ではないのだが、このウイルスが広まってウシに感染すると症状が口蹄疫とほとんど同じなので、一般の使用は固く禁じられているのである。

近年では、がんの治療に免疫が使われるようになった。その場合、免疫の抑制をいかに取り除くかが重要問題となる。制御性T細胞を不活化するかまたは取り除くことは、有力な方法とみなされている。制御性T細胞をすべて取り除くのはむしろ難しくないのだが、それでは重篤な自己免疫病になる。可能ならば、がん抗原に特異的な制御性T細胞だけを取り除きたいわけである。そのような方法を開発するのは簡単ではないと思うが、VSVを利用した不活化の研究が何らかの指針として使えると嬉しい、と思っている。

2.1983年以降(T細胞分化の研究)

T細胞は胸腺で作られる。1983年頃には、胸腺でのT細胞生成についてはある程度のことは分かっていた。主な知見は以下のごとくである。
a) T細胞をつくり出す前駆細胞は胸腺外から来る。
b) 胸腺の中で自己トランス(negative selection)と正の選択(positive selection)が起こる。
c) 分化、増殖、正の選択、そしてトレランスにも胸腺上皮細胞がかかわっているらしい。
d) 胸腺T細胞は未成熟であり、それらはCD4/CD8表面分子によってCD4-CD8-、CD4+CD8+、CD4+CD8-、CD4-CD8+に分画できる。
ここまで来るにも20-30年かかっているのであるが、T細胞分化に関する基本的な問題は明らかにされていなかった。それは以下の2点である。
①  胸腺へ移行する前駆細胞は造血幹細胞なのか、それともT細胞を作るべく決定されたものか。
②  T細胞を作る胸腺の”環境”(environmentまたはmicroenvironment)とはどのようなものか。どのような細胞や分子が関わるのか。
1983年の時点でT細胞分化の研究を始めるということは、この2つの問題を明らかにすることと言いかえることが出来た。しかも①と②は密接に絡み合っている。私自身がやるとすれば①であろうと思ったが、②にも取り組まなければ事は解決しない。仕事を進めるうちに、これらは一研究グループでやりきれるような課題ではなく、多くの研究者の協力が必要な巨大な領域を形成するものであることがわかってきた。というわけで、先ずは国内で、その後は国際的な協力体制をとるべきであると考えた。KTCCを作るに至った所以である(この続きは「KTCCのいきさつ」で)。

3.MLPアッセイ

アイディア T細胞分化の研究を始めて以来ずっと、上記2つの基本問題のうちの第1問、すなわち「胸腺でT細胞を作るのは多能性幹細胞なのか、それともT細胞だけを作るように特化された細胞なのか」ということを考え続けていた。しかし研究を始めて10年以上経った1996年になっても、この問題は解けていなかった。やれる範囲のことはやってみたのに、解決する方法が見当たらなくて、10数年間にわたって途方にくれていたというのが実情である。 MLPアッセイ(Multilineage Progenitor Assay)の着想は、何の偶然なのか突然にやってきた。1996年2月10日のことである。この日、成内先生(当時東大医科研教授)と京都フジタホテルで朝食を共にした。私の仕事についてデータを見せながら説明をしていた最中に、話の内容とは直接関係なく、T前駆細胞を同定する方法を思いついた。そっとメモをとって、そのまま話し続けた。 思いついたことは次の2点である。 a) T、B、ミエロイド(M)系列すべての方向への分化を誘導できるenvironment(培養条件)を作る。 b) そのenvironmentで1個の前駆細胞を培養する。 この方法は必ずうまくいくと思った。environmentは、胎仔胸腺の培養系をミエロイド細胞とB細胞の分化をもサポートするようにmodifyすれば可能であろう。また、常々限界希釈法による実験をやっていたので、1個の前駆細胞が検出に十分な数の細胞を作るということを経験的に知っていた。すなわち、希釈の最先端では前駆細胞は1個になっているはずであるが、その場合でも非常に多数の細胞がつくられるのである。 成内先生と別れて1~2時間の間に、その後1~2年間にやるべき実験の骨格を考えてしまった。T細胞分化と系列コミットメントに関して画期的な成果が出ることに、ほとんど確信を持つことが出来た。

【実験結果】
このテーマは河本君に担当してもらった。私がやった実験らしいことといえば、河本君と2人でV底96 well plateを金槌で叩き割って、その割れ目を顕微鏡でながめたことくらいである。V 底の先端は想像以上に尖っており、この形なら胎仔胸腺と1個の前駆細胞を共培養することが可能であると思った。3月に実験を始めて、1~2ヶ月目にはうまく行きそうになってた。3ヶ月目あたりには1個の細胞の分可能を見る方法、すなわちMLPアッセイがほぼ完成したと思う。

アイディア T細胞分化の研究を始めて以来ずっと、上記2つの基本問題のうちの第1問、すなわち「胸腺でT細胞を作るのは多能性幹細胞なのか、それともT細胞だけを作るように特化された細胞なのか」ということを考え続けていた。しかし研究を始めて10年以上経った1996年になっても、この問題は解けていなかった。やれる範囲のことはやってみたのに、解決する方法が見当たらなくて、10数年間にわたって途方にくれていたというのが実情である。 MLPアッセイ(Multilineage Progenitor Assay)の着想は、何の偶然なのか突然にやってきた。1996年2月10日のことである。この日、成内先生(当時東大医科研教授)と京都フジタホテルで朝食を共にした。私の仕事についてデータを見せながら説明をしていた最中に、話の内容とは直接関係なく、T前駆細胞を同定する方法を思いついた。そっとメモをとって、そのまま話し続けた。 思いついたことは次の2点である。 a) T、B、ミエロイド(M)系列すべての方向への分化を誘導できるenvironment(培養条件)を作る。 b) そのenvironmentで1個の前駆細胞を培養する。 この方法は必ずうまくいくと思った。environmentは、胎仔胸腺の培養系をミエロイド細胞とB細胞の分化をもサポートするようにmodifyすれば可能であろう。また、常々限界希釈法による実験をやっていたので、1個の前駆細胞が検出に十分な数の細胞を作るということを経験的に知っていた。すなわち、希釈の最先端では前駆細胞は1個になっているはずであるが、その場合でも非常に多数の細胞がつくられるのである。 成内先生と別れて1~2時間の間に、その後1~2年間にやるべき実験の骨格を考えてしまった。T細胞分化と系列コミットメントに関して画期的な成果が出ることに、ほとんど確信を持つことが出来た。
実験結果
このテーマは河本君に担当してもらった。私がやった実験らしいことといえば、河本君と2人でV底96 well plateを金槌で叩き割って、その割れ目を顕微鏡でながめたことくらいである。V 底の先端は想像以上に尖っており、この形なら胎仔胸腺と1個の前駆細胞を共培養することが可能であると思った。3月に実験を始めて、1~2ヶ月目にはうまく行きそうになってた。3ヶ月目あたりには1個の細胞の分可能を見る方法、すなわちMLPアッセイがほぼ完成したと思う。

これらのデータを得てまもなく(この年の夏)知ることになるのであるが、WeissmanグループがT前駆細胞と判定した細胞すなわちcommon lymphoid progenitor(CLP)は、我々がただ一つ存在しないものと結論を下したp-TBだったのである(次項)。 (注)MLPアッセイは1個ずつの細胞を培養する方法である。我々のグループでアッセイした細胞の数は10,000個をはるかに超える。論文として発表した図表の中にもすでに数千個でのデータを示していると思う。そのうちp-TBに分類されたものは1個に過ぎない。そのデータはp-MTBを間違って検出したものだったと考えている。(Lu et al. J. I. 2005)

【Irv. Weissmanとの関係】
Weissman(スタンフォード大)グループの主張は、造血幹細胞からp-TB(CLP)が作られ、p-TBから(おそらくp-Tを経由して)T細胞が作られるということである。これは、従来から漠然と考えられていた造血プロセスモデルを追認したものある。私達の結果とは全く相容れない。ということで、Weissmanグループとは対立した形になっている。感情的な対立があると思っている人もいるようなので、いきさつを説明しておく。
私は、Irv(Weissman)の造血とT細胞分化に関する一連の研究を最も評価している者の一人であると思っている。個人的にも親しくしていた。スタンフォード大学には何度も行っており、彼の家に泊まったこともある。また彼が京大に来たこともある。1996年夏、河本君によるMLPアッセイのデータが、疑問の余地なくp-Tの存在を示していると確信したとき、先ずはこの結果をIrvと共有し、協力してT細胞分化の研究領域を充実させていこうと考えた。そこでこの年のKTCC(10月7-9日)に招待する手紙を出した。しかし本人は来ずに赤石君(現九大教授)が代理で出席した。(プログラムはすでに決まっていたので、抄録集に記録はない)。このときのIrvグループの発表が、「骨髄中にCLP(p-TB)が存在する」というものであった。我々の結果と180°違うものであり、不可解なデータであると思わざるを得なかった。
彼らの実験法では、CLPというよりは「B細胞をつくる能力を持つ前駆細胞の中でT細胞を作るもの」を検出する方法なのである。おそらく彼らの検出にかかったのは、p-MTBだったのではないだろうか。なお彼らの方法では、私達のMLPアッセイで検出されるp-Tはおろか、p-MT、p-MB、p-M、p-Bなども検出することができない。したがって、造血の全体像を見ることは出来ないのである。Irvグループとは今後も密接に協力して研究を進めたいと思い、河本君に言ってMLPアッセイのすべてを細部にわたって赤石君に伝授した。この方法で実験をしてもらい、Irvグループとデータを共有し、さらにこの分野を発展させたいと思ったからである。
1997年3月にはMLPアッセイ関連の最初の論文を出す準備ができた。しかし、Irvからは何の連絡もない。あのCLPデータを論文として発表すれば、Irvは誤った道を行くことになると心配した。直接会って翻意させる以外に手はないと思い、3月末にスタンフォードへ向かった。セミナーで私達のデータを詳しく話し、Irvも一応は理解したように思えたのであるが、残念ながら彼はCLPから離れることはなかった。夕食時にもっと話し合おうと思っていたが、Irvはどこかへ出かけてしまった。彼と会って夕食を共にしなかったのはこの時が初めてである。
私はすでに半分引退している身なので、この数年間Irv.と議論したことは無い。しかし、河本君は、学会等で彼に会うこともあり、それなりに会話を交わしているようである。学説に限らず意見の相違は付き物である。反対意見によって新たな展開もたらされることも少なくないと思う。そのように進むことを望んでいる。

4.論文発表

MLPアッセイの最初の論文はNatureとJEMに拒否され、Int. Immunol.に掲載された。このときのcommunicatorは宮坂昌之氏(阪大教授)である。論文の意義をよく理解してもらったことに感謝している。一方Weissmanらの論文は、我々より1ヶ月遅れで、Cellに掲載された。CLP説はいわゆる常識なのだから、何も考えなければこれを信じることになるだろう。今でも無条件にCLPからT細胞ができると言う人はいる。しかし、かなり意外だったのは、日本免疫学会では私達の仕事がずいぶんすんなりと受け入れられたことである。我が国の状況も少しは変わってきたのかな。それとも、これがKTCCなどで協力体制を築いてきた効果だったのかもしれない。
この仕事が国内外で認められ、われわれの造血モデルが当然のこととして通用するまでに10年はかかると予想していた。実際には、5年目あたりから、諸外国の学会やreview誌で我々の研究結果が正しいとする意見が多くなってきたようである。しかし、WeissmanらのCLPもadultには存在するのではないかという折衷案も出されて、根強く生き残った。この後者に関して、今年(2008)の河本君のNature論文で、adultにもやはりCLPは存在しないことがはっきりと示された。12年目にして完全に認められたことになる。ただし、外国だけでなく日本にも、未だにCLPと言っている人はいる。

5.MLPアッセイの今後

MLPアッセイはFTOC(胸腺臓器培養)を基調としている。この事は、この培養における分化誘導能が生理的条件に近いという利点があるのだが、実験手技が少し煩雑で、また費用もかかるという欠点もある。現在ストローマ細胞株を用いてミエロイド(M)-BおよびM-Tの各2系列への分化誘導システムが作られており、これを用いたsingle cell assayが広く用いられている。しかしMLPアッセイのようにミエロイド-T-Bの3系列を同時に誘導できるストローマ培養法は未完成で、これが広く利用できるようになることを望んでいる。さらにヒト前駆細胞の分化を解析できるMLPアッセイ、またはそれに相当するストローマアッセイ法も作られると良いと思う。
我々のMLPアッセイ以来、造血系ではsingle cell assayの重要さが多くの人に認識された。現在では、きちんとした仕事ではsingle cell assayのデータが出されている場合が多い。これはうれしい事である。