V07 No.2 【KTCCの歩みと今後】

KTCC(Kyoto T Cell Conference)は, 胸腺とT細
胞生成について意見交換ができる会として 1991 年に発
足した研究会である.国際シンポジウムとして行ったこ
ともあるが,通常は年1回の国内での集会を行っている.
出席者は100人を越えないように努めている小さな研究
会であり,JSI Newsletterに紹介記事を書くなど晴れが
ましいことではある.K T C C について私が語ることがで
きるのは主に発足についてであり,“歩み”はメンバー
による自律的な面が強く,“今後”は次世代の人たちに依
存している.
研究領域にかかわらず,免疫学会のような全分野を統
括できる学会が必要なことはいうまでもない.しかし学
会が大きくなりすぎると,その時々の話題の研究が注目
される傾向が強まる.新しい仕事の多くは最初は小さく
目立たず,やっている本人もどれほどのものか理解でき
ていないことも多い.気力と研究費が続かなければやめ
てしまうことすらある.そのような研究を育てる方法は
ないものかというのがK T C C をつくった動機であった.
発足当初のK T C C 抄録集の巻頭言を一部引用させてい
ただく.「……わが国の研究者の貢献は決して小さいも
のではないと思います.しかし,発見の手がかりとなる
アイデア,新しい実験法の開発など多くの点で欧米の後
を追うかたちになっています.たとえばクローン選択説
の提唱,T細胞の発見,V β抗体の作成とクローン死
滅の証明,あるいはセルソーター技術,ハイブリドーマ
法,……の開発に日本人の貢献は…….これらを成し遂
げるまでには大変な努力を要した反面,アイデア自体は
至極単純なものが多いことに気づきます.……学問であ
れ政治であれ,この国では基本に立ち返って論議する土
壌というべきものが培われなかったか,または風化した
状況があったように思えます.そのような土壌を甦らせ
るなど個人や小さな研究会の手にあまることですが,
K T C C はそれを行い得るシステムをかたちづくるべく企
画したものです.したがってこの会は,“りっぱな講演
を拝聴する”というのではなく,参加者全員が意見を持
ち寄って会話するための場であります.規模を80人ほど
と……」.
少々気負っているふうでもあるが,物事を始めるには
ちょっとくらいはがんばらないとやれないものである.
巨大な学会と小さな研究会では,個々の会員にとっては
かかわり方がまったく異なる.フランスのI N S E R M が組
織する会合や,1989年から始められたオランダ Rolduc
でのThymus Workshopなどに出席してみると,いずれ
も100人を上回らない小さな会で,ほとんどすべての研
究グループから演題が出されて議論も夜遅くまで続けら
れる.それでいて昼間はレクレーションである.このよ
うな組織こそ研究や研究者を育てる力があるにちがいな
いと思わせるものであった.
わが国でも,小グループの会がなかったわけではない.
免疫学会は,免疫化学研究会,免疫生物研究会,補体シ
ンポジウムを統合してつくられたのであるが,補体シン
ポジウムだけはその組織を残して現在も続けられている.
また,科研費に関連する班会義なども行われてきた.私
にとってより身近であったものは堀内篤先生の主催によ
る胸腺免疫研究会(1983~1994年)である. この会は
シンポジウム形式であったが,演者にかぎらず出席者の
多くがそれぞれ面白い仕事をしていることを理解するこ
とができた.このような経験を経て, わが国でも Rolduc
W o r k s h o p的な研究会をつくることができればと考える
に至ったのである.
K T C C のような小さな集会は,たとえば大学のクラス
会へ出かけるような安心感がある.独創的であればその
分だけ不安であり,しかもおそらくは未完成な話題を提
示するには,それを受け入れる雰囲気が不可欠である.
このような研究会が他の分野でもたくさんつくられ,学
会はそれらを統合するものとなればよいのではないかと
思っている.
K T C C は今年で9年目となる.次世代の人たちに,研
究交流の場としてさらに使いやすいシステムを残すのが
私たちの使命ではないだろうか. 私としては,実は100
人程度に限定した研究会ということに次の2つの点で不
安を覚えていた.?他分野との交流に支障をきたさない
か,?レベルの低下につながらないか.折しも,これら
の点を含めて今後1 0 年間のK T C C のあり方についてアン
ケート調査を行ったところである.結果は,現行の方式
に少しばかりの手直しをすればよいという意見が多かっ
た.一抹の不安を覚えながら企画運営にたずさわった者
として,肩の荷をおろすことができた思いである.今後
を託す人たちに不足はない.10年後には,再び誰かがJIS
Newsletterに,KTCCの次の世代について書く日がくる
かもしれないなどと思いめぐらしている.